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神さまからの祝福を綴るクリスチャンにっちの日記

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にっちの信友(違う教会の人)が、

教会の奉仕があまりにも忙しくて疲れてしまい、

今教会から距離をおいて休んでいるんだ。


これって他人事じゃなくて、収穫は多いが働き手は少ない

日本のクリスチャンに「燃え尽き症候群」って多いんじゃないかな?

教会に人が少ない上に、それなりにできる人に奉仕が任され、

その人ばかり荷を覆ってしまう。そしてつぶれちゃうってことが。


ジーザスは言われた。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』マタイ11:28


教会の前にこの聖句をこれみよがしに掲げてるのに

クリスチャンになって、重荷を背負わされてつぶれちゃうってことは

あってはならないこと。そんなの間違ってる。

クリスチャンは、「神様にゆだねればいいよ」って

多くの奉仕を人に任せちゃう。

つぶれちゃうのは、神様に「ゆだねる」ことができてないからって

自分をせめちゃうことってないかな?

でも神様に「ゆだねる」ってどういうこと?

聖霊様100%で、神様にやってもらうってこと?

ゆだねますっていいながら、結局自分でやってるけど。。。


去年の夏前、にっちは「燃え尽き症候群」になりかけたんだ。

ていうか燃え尽きてた。疲労困憊になってた。

なんでもかんでも頼まれたことはやらせてもらったし

やってたんだ。完全にキャパシティーオーバーに。

それでも神様にゆだねればできるって!

でもにっちは、「ゆだねる」ってことがわかってなかった。。。


もうつぶれそうで、牧師婦人に打ち明け、祈ってもらったよ。

そして、「主にゆだねること」ってどういうことか教えてくださいって

すがる思いで、聞いたんだ。


牧師婦人がメールで教えてくれた「主にゆだねること」を読んで

にっちは、心のつっかえがとれたんだ。それとともに

涙がとめどなくながれて、

あらためて、

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』マタイ11:28

の意味がわかったんだ。


キリストについていくために自分で重い十字架を背負ってた。

でも見えたんだ。キリストの穴の開いてる手が。

十字架を背負ってるにっちごと、背負ってるキリストの手だったんだ。

自分だけで背負ってると思ってた。歩いてると思ってた。

でも、違った。キリストが、にっちのすべてを背負って

歩いてくれてる。にっちは自分の十字架を背負い、

その全体重をキリストにあずけちゃえばいいんだ。

自分でがガクガクになりながら歩く必要はないんだ。

キリストとともに歩むってこういうことなんだ。


クリスチャンはもっと軽く。自由に。生きれる。

そう教えられてたはずなのに、自分でなにもかも

責任を負ってた。自分がやらなきゃって。

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これ以降は、すべての疲れてるクリスチャン、

重荷を負っているクリスチャンに贈ります。

にっちが、牧師婦人から教えてもらった「主にゆだねること」を

掲載しますので、各自で受け取ってほしいです。


主にゆだねる、こと。

1.主にゆだねる、ということは、綿密さ、緻密さ、計画性と矛盾しない。

2.主にゆだねる、ということは、聖霊の力100%という意味ではない。聖霊100%の力で日常の物事をしていくということは、観念の世界であり抽象的なことである。
私たちに与えられている能力は、(親から受け継いだ能力、育てられてきた能力のすべて)神が量りによって、恵みによって与えてくださっているものであり、タラントである。私たちは、与えられた仕事やミニストリーを、この自分に与えられた能力を基礎にして、主の助けと導き、聖霊の力や知恵をいただきながら果たしていくのである。

3.こうした能力は、使えば使うほど豊かになり、主が加えてくださり、私たちはすべての能力を神の賜物として感謝しながら発揮することができる。それを肉の力でしている、と卑下する必要はない。

4.主にゆだねる、とは、全力でした時も、力を抜いておこなった時も、あらゆる時に、主にその結果のすべてを、まかせるということ。神に感謝して、結果については、思い煩わない、ことである。

5.良い評価を受けた時は神に栄光を帰して、神に感謝をささげ、失敗したり、なかなか物事がうまくいかない時にも、神が、万事を働かせて益としてくださることを信じ、自分で画策せず、主の全能の力が物事を進めてくださるように、期待して感謝して待つことである。

6.大切なのは、神と自分の境界線、人と自分の境界線、組織と自分の境界線を、正しく認識していくこと。

7.神は御自分でなにもかも、なさらない。父なる神がゆだねられていること。御子がなさること。聖霊がなさることがきちんと区別されている。神は人間に対しても、御自分がなさることと、人がしなければならないことを区別している。

8.家庭における自分の役割、教会での自分の責任の範疇、リーダーとして自分がしなければならないことと、人に任せれることがらなど、自分と人々の能力、キャパスティなどをふまえて、境界線を正しく引いていかなければならない。神がそこまで望んでいないことをしていたり、人がするべきことをしていたり、ひきずってしまったりするならば、いくら意欲があっても人は、燃え尽きてしまう。

9.境界線を正しく引き、それぞれの責任範囲をそれぞれにさせていくことが、リーダーの務めであり、いろんなことを多くこなすことが、リーダーの責任ではない。

10.主の十字架は、決して重すぎることはない。けれども、十字架は背負うもの。そこには犠牲もあり苦しみも伴う。けれどもその道は、天国の栄光と賞賛につながる道である。


ぼくらの目の前には、多くの働きがある。

それが主からのもので、自分がやるべきことなのか見極め、

選択し、ぼくらのギフトにしたがってそれを忠実にやるべきだ。

でも、それは主がぼくらに任せてくれたもの

だからすべての責任は主が負ってくださる。

ぼくらの弱さも失敗も負ってくれるんだ。


だから、つぶされないで。

しっかり休みながらやって。


ジーザスは言われるんだ。

『すべて、疲れ、重荷を負っているクリスチャンは、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』って。


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