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神さまからの祝福を綴るクリスチャンにっちの日記

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唐突ですが。のグログ更新セーブ宣言のおかげで

みなさんからの温かい励ましを受け勉強はまずまず進んでおりますが、

なんか以前よりも勉強以外でも忙しくなってきた気がする今日この頃。。。

さらに主都と一緒に風邪っぽくなってきた。。。

今日はせっかくの休みなのに。。。

なので、ここで息抜き更新しま~すw


信じなきゃ救われない?を受けて、ある方からこんなコメントが。

「じゃあなんで神さまは人に自由意志を与えたんだろう?

自由に決断する権利を与えておきながら、別の選択をしたら滅びるって、

自由意志とは言わないよね。結局、それは強制とほとんど一緒なんじゃないの?」



にっちは、こう考えます。

『ホンモノの自由は、
自分勝手にできること、
じゃなくて、
正しい選択ができること』


だと思っています。

(自由といいつつ自分の欲に従ってしまうは欲に束縛されてること)

そして、神さまは人に自由意志を与えたというより、

正しい選択肢(救いという恵み)を与えてくれたんだと思っています。

それをただ自由に感謝して受け取ってほしいだけです。

正しい選択肢がないなら、滅びにいくしかありません。

それこそ強制連行です。

○×の二択しかないの!?それって自由って言える?

って嘆くより、正しい選択肢が用意されてることを

ただ感謝して受け取ったらいいんじゃないでしょうか?

それが自由なんだと思います。


『真理はあなたがたを自由にします。』ヨハネ8:32

改めて、この御言葉はそういう意味なんだと感じています。


真理があるからこそ、それを選び取る自由があるということ。

真理を知るからこそ、正しい選択ができる自由にあずかれること。

その自由が与えられていることをただ感謝して

正しい選択をするという自由を受け取りたいです。


やっぱ、風邪っぽいので、もっかいお布団に入ってきます。

これが自由なんだと思うw


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自由には責任が伴います。
ですから、自由意志の結果滅びに行くというのは全く正しいと言えると思います。
にっちさんの言うとおり、欲に束縛されているのは自由では無いと僕も思います。
しかしながら、それは信仰にも当てはまると思うのですよ。
救いという恵があるから信じる。それは自由意志ではありません。
結局のところ自由意志など存在しないっていうのが僕のいまのところ主張ですね。
理由があってもなくても自由意志なんてものは存在しない。
じゃあ、自由が無くても僕等は信仰している。
その意味を僕は今考えています。

2008.09.09 URL | 一重まぶた #- [ 編集 ]

うちは自由意志があるかないか、理論的に考えるのは苦手だし、よく分からないけど、
神様が求めてるのは、やっぱり神様を愛することやと思う。

でも信じれない人を、愛することなんて無理やと思う。

でも神様は神様を求める人を決して見捨てない。

100%神様を信じることはすぐに出来ることじゃないけど、救いっていうのは「信じる」「信じたい」っていう決断によってだと思うな。そこから、神様がもっと信じれるように助けてくれるやん。

その決断は、選択権のある中での決断だから価値があるんじゃないかな。
全員がその選択をできるんだし☆

なんかちょっとずれたけど(ごめんね><)
一重まぶたさんが言ってる、
「救いという恵みがあるから信じる」
っていうのは、ある人にとってはそうかもしれないけど、必ずしもそうじゃないと思うよ。

神様が愛してくれてるから、
「この人のこと信じてみよう。
救われるか救われないか、そんなのわかんないけど。」
それが私の決断でした。

今は救われてるって信じれるようになったけど★

2008.09.09 URL | chihiro #- [ 編集 ]

こんにちは。初めまして。

私もchihiroさん同様、理論的に考えるのはあまり得意ではないのですが、にっちさんのご意見をバックアップします。

>「じゃあなんで神さまは人に自由意志を与えたんだろう?

自由に決断する権利を与えておきながら、別の選択をしたら滅びるって、

自由意志とは言わないよね。結局、それは強制とほとんど一緒なんじゃないの?」

 ↑この質問、なるほど、いいとこついてますよね。

神様は、確かに自由意志を私たちに与えてくれていますし、間違った選択をしたら滅びる、というのもその通りですね。

だけど、思いました。
神様の望みは、明らかに、私たちにそっち(滅び)には行って欲しくないということ。

なぜなら聖書には、私たちがその間違った選択をすることがないように、神様が私たちに必死に教え、安全な正しい方へと導こうとしている言葉がたっくさんたっくさん詰まっています。

神様は私たちに自由意志を与えたものの、それっきり何もしないで「どうぞご自由に。自分で選びなさい。あ、ところでね、間違った方に行ったら滅びるけどね~。」と、放ったらかしているわけでは絶対にありません。

私は、これを自分と我が子の関係にだぶらせて考えた時に、ちょっとわかりやすくなりました。

 私は子供に常に幸せで、安全であってほしいと願います。
しかし、だからと言って、子供を自分の手の中に囲い、安全だからと言って、外に出るなとは言いません。それではエゴになってしまい、それこそ強制することになります。

もちろん自由を与えれば、私の手の届かないところへ行くこともあります。
ですから、その時のために私にできることは、子供に、身を守るための知恵とそれを選択することをできる限り教えることです。必死で教えます。

私は子供を愛しているがゆえに、自由にたくさん自分の好きなことをして、人生を楽しんで欲しいと思います。しかし、自分の身を滅ぼすようなことになることは、選ばないように教えます。一生懸命教えます。

一重まぶたさんが言っている様に、自由には責任が伴います。
ですから、そのことも親としてできる限り必死に教えるでしょう。
そして、子供が自分の世界へ出た時に、私が教えた知恵を持って、安全な道を選んで進むように祈り、見守ります。

 そこで、また一つよく聞かれる質問の一つに、「じゃあ、なぜ神様は地獄を造ったの?」というのがあります。

だけど、私が知っている限りでは、神様は人間を送るために地獄を造ったのではないということ。

地獄は悪(サタン)が行くべきところであって、そこへ人間を引き込もうとするのは、神ではなく、サタンだということです。

 私は聖書すべてのことを理解してわかっているわけではありませんが、すべてをわかっていなくても信じることができる信仰を、神様の恵みのおかげでいただきました。
これは賜物です。(エペソ2:8)英語の聖書では、賜物は“GIFT(贈り物)となっています。
これは全ての人に贈られているんですよね!
喜んで受け取りましょう!




2008.09.09 URL | K #- [ 編集 ]

いつもいつも深くて熱い内容。
感心してしまいます。
にっちのブログから、いつも考えさせられます。
難しい宿題を出されたように…。(笑)

2008.09.09 URL | tamunasu #.e6.QCVs [ 編集 ]

にっちさん、皆さんどうもありがとう。
なるほどと思いました。

ただ、聖書を読めと言われて読んだけど、聖書が素晴らしいってやっぱり思えない。聖書の神さまはまるで多重人格者みたいで、どこか怖い。

みんな、この本のどこが素晴らしいと思えるんだろうっていつも疑問に思いながら読んでます。

人を殺すなと言っておきながら、男女、子供ともに皆殺しさせたり、罪を告白した人に対して、家族も含めて石うちにさせて殺させたり、いけにえをささげてわざわざ宥めないと怒りがおさまらないなんて・・・。

自分を試すなって言っておきながら人は試すし、挙句の果てには子供を生贄にしろと言ってくる始末。

いくらなんでも、神さまであっても言っていいことと悪いことがある。あまりに横暴。

一方ではいけにえなんていらないと言っておきながら、いけにえを要求しているし。
時代が違う、人によって神さまのとらえ方が違うのかもしれない。

でも、神さまは不変なのであれば、なぜこうも言っていること、することがコロコロ変わるんだろう。

人間を滅ぼすことはもうしないって言っておきながら、再び滅ぼそうとする神さま。
(あれ?あの約束はどうなったの?)

やはりぞっとする怖さがある。
なんで、こんな神さま信じてるの?
聖書を読んで何も疑問に思わないの?
神さまを愛してると言っておきながら、
なぜその神さまについて、聖書についてなんでみんなきちんと説明できないの?
みんなノリで信じてるの?
それって信じてるって言える?

それで人に信じろって言ってもかなり無理がある。

確かに素晴らしいと思える箇所はたくさんあった。でも全体を通して見えてくる神さまは、条件つきの愛と救いを強要する神さましか今は見えてこないんだ。



2008.09.10 URL | mika #- [ 編集 ]

こんにちは。
mikaさんのコメントをみて私なりに感じている事を書きます。
私の信じている神様は公正で正義のお方なので、言っている事が矛盾しているような場面でも必ず正当な理由があるはずと私は信じています。

>人を殺すなと言っておきながら、男女、子供ともに皆殺しさせたり
十戒の中で神様は確かに殺すなと命じました。神様の思いは原則その通りだと思います。
ではなぜカナンの虐殺の命令があったのでしょう。その答えは詩篇106:34-39にあると思います。
「彼らは、主が命じたのに、国々の民を滅ぼさず、 かえって、異邦の民と交わり、そのならわしにならい、 その偶像に仕えた。それが彼らに、わなであった。 彼らは自分たちの息子、娘を悪霊のいけにえとしてささげ、 罪のない血を流した。カナンの偶像のいけにえにした彼らの息子、娘の血。こうしてその国土は血で汚された。 このように彼らは、その行ないによっておのれを汚し、その行ないによって姦淫を犯した。 」
虐殺しなければイスラエルの民が偶像を拝み、神から離れ罪のない子供を殺すという結果になってしまうという神様の理由があったのではないでしょうか。

>罪を告白した人に対して、家族も含めて石うちにさせて殺させたり、
これはアカンの事ですか?
ヨシュア6:18で警告されているにもかかわらず、アカンは罪を犯しそれを神様が名指しするまで、自らの罪を告白しませんでした。
このアカンの罪のおかげで36人もの人が殺されました。
それでも心をご覧になる神様は、悔い改める者には憐れみをかけられたと思いますが、結果は残念なものでした。

>いけにえなんていらないと言っておきながら、いけにえを要求しているし
どの時代も神様が人に求めているいけにえは心からのものであって、心の無い形だけのものはいらないと言う事だと思います。

>人間を滅ぼすことはもうしないって言っておきながら、再び滅ぼそうとする神さま
これはノアの洪水の後の神様の発言のことですか?
創世 9:11 わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない
とありますように、ここは洪水では滅ぼさないとの約束です。

いずれにしてもこれ程罪に対して厳しいお方が、その責めを私達に負わせないようにとイエス様を身代わりに罰せられた、神様の人間に対する深い愛を私は感ぜずにいられないのです。

2008.09.10 URL | かあちゃん #- [ 編集 ]

あのね、自由意志なんて与えられてません。
自由意志が与えられているなら、
神の恵みのみによる救いは成立しません。

http://rokorikorikoriko.blog44.fc2.com/

2008.09.14 URL | みなと #- [ 編集 ]

返事遅れてすいませんでした。

一重まぶた>自由に責任が伴う。ほんとそうだよね。救いという恵みがあるから信じるのは自由意志ではない?でも信じないことを選ぶこともできるよね?選択できる余地があるわだから自由意志があるとは言えないのかな。。。

chihiro> 「この人のこと信じてみよう。
救われるか救われないか、そんなのわかんないけど。」なんかそれが信じることかもね。信頼してみようって飛び込むってなんかステキです。

K>「子供に、身を守るための知恵とそれを選択することをできる限り教えることです。必死で教えます。」そうですよね。自由を与える責任が親にはありますよね。にっちも必死にホンモノの自由をつかめる意志を持つ子に育てます!

tamunasu>にっちも難しい宿題で頭がいたいです。でも考えることで今まで見えないものが見えてくるからそれがうれしいです。でもやっぱ頭に限界がるのでたまにでいいですがw

mika>条件つきの愛と救いを強要する神様っていう印象はわかりますよ。でも、にっちはそれくらいマジに嫉妬するほど愛してくれてるんだなって感じています。命を捨てるほど愛してくれてる。実際そんなに愛されたら、引いちゃうけど、神様がそんな体裁を気にせず身をボロボロにしながら必死ににっちを愛して自分の元に引き寄せようとしている神様がほんとに愛おしいです。(旧約における聖絶についてはイエス・キリストの救いの前ですから、罪においての神様の義はまじハンパないです。滅ぼされてもしょうがない罪人であるにっちがキリストの十字架によってゆるされ神様の前に出れるってほんと恵みだなあって感じてます。)

かあちゃん>mikaさんのコメントに対して答えてくださりありがとうございます!にっちも教えられました~ほんと救われてること感謝です!

みなと>自由意志与えられてないのかな?神の一方的な恵みを拒否できるわけだしさ。。。

2008.09.17 URL | にっち #DYQhHKEg [ 編集 ]













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